植物との関係性が一気に変わった体験 〜鉄と森と妖精と


右手小指の怪我を通して、急速に先住民族や妖精の世界に感性が開かれていったことを以前の記事(愛のシンボル)の中ですこしだけ書きましたが、今日はそのことをくわしく書きたいと思います。


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ある薬草園の中で庭師をしていたときのお話です。

天使に手紙を書いた年からさらに2年後。


あの夏はとてもとても殺人的な酷暑でした。


うだるような暑さの中、ひとり、庭作業をしていたときのことです。

何本ものヒノキの幹に藤のほそい蔓が絡まっているのを、手鋏を使って地道に取り除く作業をしていました。

なんとも不思議な話ですが、その作業に入る手前に、ちらりと脳裏で「鉄はまだ人間には早い」という言葉が浮かんだのです。

なんだかわからないけれど、その言葉に対して(たしかにそうだ。)と思い、草刈機の円盤型の刃が猛スピードで回転しているのを思い浮かべ、

(いつもあれ使っているとき怖いもんな。もしあの回転している刃が肌に触れようものなら間に合わない、、、でも鉄が早いとしたら何を使えばよいかな。石ならまだ、違うかな?)

と淡々と連想していたのでした。



やがて、そんな連想もどこかに消えるほど、作業に没頭してゆき… かぶっていた日除けの帽子の中は熱がこもり、汗でシャツの背中側がびっしょりに濡れていました。

蔓を切ったら思い切り蔓をひっぱり、木から引きはがします。その作業を何度も何度も繰り返しているうちに、すこし朦朧として、いつのまにか、鋏を持つ手で蔓をひっぱっていました。(とてもキケン!)

蔓がなかなかとれないのでエイ!っと思い切りひっぱったところ・・・・鋏と蔓を持った左手が、ひっぱった反動で右手小指に直撃。ざっくり小指の付け根に深い傷を負ってしまいました。



包丁を使う調理人さんもそうだと思うのですが、刃物を使う仕事をしている以上、ちょっとした切り傷はつきものなので、そのときは(おっと!やってしまったな)程度でした。血が出る傷をティッシュでおさえてふき取ったあとに、鼻血を出したときにお世話になっているヤロウの葉をちぎってもんで傷に当てました。

(ヤロウの葉の止血効果はとても頼りになるのです。私事な余談ですが、鼻血だと、鼻の孔の奥にもんだ葉を丸めて詰め込んだだけで、ティッシュだけでは6分かかるところ、2分で血が止まるんですよ!)

日陰に移動して座り、しばらく安静にして傷をおさえていましたが、一向に血が止まらない。。。
思ったより深い傷なんだなと承知して、職場を早退して整形外科へ行きました。



診て頂いたら腱が何本も切れていて、何針も縫うはめになるのですが・・・

ふだん滅多に外科病院に行かないせいか、お医者さんの対応にいろいろショックを受けました。治すという大義のためなら、どんな態度でも、なにをしてもいいのか?礼儀は無用なのか? もうちょっとデリカシーがほしいわ・・・と内心憤慨。

”せめて治療の作業前に、一言、使う道具の説明をしてほしい。なんのためにその作業をわたしにするのか。どうやってその道具を使うのか。たとえば、その注射器みたいなものは注入するためのものなのか、それとも吸い出すためのものなのか、それによってこちらの体の準備も違うのになあ。 と。ぶつぶつ・・・・”

そんな風に、Twitterに思ったことを書いたほどです。

けれども、そんな風に思い、つぶやいた翌日、急にハッとしたのです。



”あれ?あれ?もしかして。”

”あの失礼なお医者さんのやり方は、わたしの庭仕事のやり方じゃないか? ”

”わたしがお医者さんに対して抱いた不満は、そのままそっくり、ふだん薬草園の植物たちが、鋏やスコップや草刈機で手入れされるときに、わたしに対して感じている不満として言えることじゃないか?”

と。



”ほんとうは植物にいきなり切りかかるのでなく、いきなり掘り上げるのでなく、ちゃんと礼儀をもって説明するべきじゃないか?なぜなら、ちゃんと説明したなら、植物たちなりにも心や体の準備ができるもの。”

この気づきはほんとうに、ほんとうに骨身にしみました。



以来、植物の方からみたまなざし、意識・・・

そういった世界観の存在が非常に強く私の中に息づくことになったのです。自分と植物の距離が急に縮まり、おなじ地球に生きる「仲間」となった、大きな転機となる出来事でした。



ところであの脳裏に浮かんだ「鉄はまだ人間には早い」という言葉。
すぐに調べてみました。鉄と人間の歴史を。

「いつから人間が鉄を使いはじめたのか。そして鉄と人間はどう時を重ねてきたのか。 」

ひもといて驚いたのは、鉄の登場が、人間が自然と調和して生きていた時代とそうでなくなった時代の分岐点のように思えてくることでした。



鉄を製造するために、燃料となる木が大量に伐採され、山がはげ山になってしまったこと。(伐採のたびに植林していったそうなのですが、追い付かないほどの破壊力だったことでしょう)

そして、日本では、弥生時代に稲作がはじまり、鉄製の道具によって森が切り開かれ、大地が耕され、森や土の中の生態系が破壊されていったこと。

農耕文化に移行したことで、土地や財産の奪い合い、部族の間で戦争が起きるようになったこと。そして一万年も続いた縄文時代には戦争がなかったということ・・・

鉄という文化の背負う業のようなものにはじめて目を向けた瞬間でした。



そして、そんな濃い数日の中で、本を通して、またもや衝撃のメッセージを受け取ることになったのです!

本屋で見かけた鏡リュウジ先生の京都&イギリスツアーの本。なにげなく本を開くと、巻末で鏡リュウジさんとケルト文化研究家の鶴岡真弓さんの対談が載っていたので興味深く読んでいたのですが・・・

その対談の中で、鶴岡さんが鏡さんにクイズを出していました。

「妖精の嫌うものはなんでしょう?」

「答えは、鉄です。」




ぎょえー!鉄ですか!?

思わず身を乗り出してしまったのは言うまでもありません。

さらに鶴岡さんは理由を述べていました。
オリンピックのメダルにもなっている金、銀、銅の時代までは人間のなかに良心があった、けれども鉄の時代に入ってからは人間はもっていた良心を失ってしまったと。(正確な文章はうろ覚えですが)

なので、赤ちゃんにいたずらをする妖精除けにはベビーベッドの中に妖精の嫌いな鉄である”釘”をいれておくとよいという風習があるそうです。




「鉄はまだ人間には早い」・・・
薬草園で頭の中に響いたその言葉の主は、もしかしたら妖精だったのかなあ。そんな風に思うと妙に合点がいってしまうのでした。

この一連のことがあって以来、縄文文化の人たちの生き方がどんなだったのか、急に興味が出始めました。今思えば、そこから北山耕平さんのおはなし会へと無意識につながっていったのかなと思います。



そして、右手小指の切り傷は今でも残っていますが、これは、植物の神様からもらった指輪なんだ、指切りげんまんの印なんだ、と思うようにしています。そう思うことで、人間本位でなく地球に生きるすべての仲間のことを忘れないように。という戒めになるから。そして植物の神さまに祈った道を歩みつづけるための勇気になるからです。

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