8月はさらなる修行へ(2)
日にちが経ってしまいましたが、 前回の(1)の続きです。
あれからさらに考えさせられる出来事がありました。
落とし物がどこにあるかをめぐってオーリングをしたときに
大丈夫か、無事に戻ってくるかについては「YES」で
実際、無事に戻ってきたのですが、 「見つかる場所の候補」がはずれたのです。
二重盲検をしなかったこともあり、私情が入ってしまった可能性もありました。
(この場所で見つかればよいな、という思いが強くありました)
そのため、オーリングが非常に微細な感覚を必要とするもので、
取り扱いを慎重にしなければならない、
誰彼構わず「オーリング便利だよ」と薦めてはならないなと反省しました。
オーリングを疑う意見にも目を通して(→★)、
オーリング理論が現在、あまりにも乱立している現状も知り、
ますます慎重さが必要だ・・・と感じました。
専門家のきちんとした指導を受ける必要を強く感じ、
ひとまずプライベートではオーリングをしないようにしました。
しかし不思議ですが、なぜか「仕事では使って大丈夫」だという確信があり、
仕事では変わりなくオーリングが活躍していました。
プライベートでのオーリングをしないようにして二カ月ほどだったある日、
好きでよく読んでいたNY在住のキネシオロジスト中村典子さんのブログを
開いたら長野県での合宿クラスの募集をしていたのです。
今この状況を抱えていたこともあり、これだ!と確信しました。
申し込んだ時にはすでにキャンセル待ち状態だったので
無理だったらそれはそれでいいや。という楽な気持ちでしたが、
なんとキャンセル待ちが20名になり、もう1クラス増設してくださって
参加できることになりました。すごいな〜。
典子さんの夫おさむさん(彼もキネオロジスト)と
スカイプでセッションを受けたのですが、
その中で、一連のオーリングの出来事もお話しました。
すると、 典子さんやおさむさんが行っているキネシオロジーは
わたしがプライベートで使っているような使い方、
「雨がいつあがるかとか、未来を予知したりといった使い方はしないんですよ」とのこと。
それを聞いて、ハッと理解したのです。自分に起きた一連の流れを。
オーリングが私に何を要求しているかを。
なぜ「そんなことどうだってなんだっていい」と出たのか、
なぜ「落とし物の見つかる場所がはずれた」のか、
なぜ「セッションでは使って大丈夫という確信があった」のか。
今までの点と点が、つながって太い一本の線になった瞬間でした。
どういう目的で、なんのために、Оリングを使うか。
個々の魂の喜び、成長、解放のため。
あくまでそのために、使ってほしい。
これかー!!!
ヘレン・ケラーのwataer!!的理解の瞬間でした。
もしも、この理解も浅いもの、
もしくはまったくの勘違いだとしたら
それに気づくきっかけも用意されることでしょう。
今は開かれた道、与えられた道、
キネシオロジーの専門家に教わる機会に身を投じてみようと思います。