8月はさらなる修行へ(1)
今年に入ってОリング(オーリング/筋反射)との付き合い方に変革の兆しが現れていました。
どういう目的で、なんのために、Оリングを使うか。
結論から言うと、個々の魂の喜び、成長、解放のため。
あくまでそのために、使ってほしい。
と、Оリング(自分の体の声)を通して導かれるような一連の出来事がありました。
私がОリングを使うようになったのは、
フラワーレメディの先生の一人であるホワード七歩子先生(旧姓・上野七歩子先生)の
クラスがきっかけでした。
植物の生き様、人の意識、無意識の領域を丁寧に見つめながら、
最後にОリングを活用してレメディ選びの確認をするスタイルで、
クラスの中でОリング開発者のドクターの参考文献を提供してくださったり、
興味深い実験を行ったり、
先入観が入らないように二重盲検での方法も行っていました。
選ばれたレメディと自分との間の結びつきについて
必ずしもすぐに納得、自覚する必要はなく、
なぜこのレメディなのかすぐにはピンとこなくても
「飲用期間の出来事や洞察を通して
レメディの花と自分との結びつきが種明かしされていく感覚」
「すぐにすべてを解明しようとはせずに、自分の体の声を信頼して、飲用期間に起きてくることに委ねてみる」
「そのように過ごして(一周まわって)、ふたたび、植物の生き様、自分の意識、無意識の領域をさらに深く見つめ、理解することにつながる」
ということを、七歩子先生のクラスでは身を持って体験させてもらったように思います。
そんなこんなで、
あんとす堂のセッションの中でもパワフルに活用しているОリングですが、
ここ最近は、セッション以外の日常の中でも活用することを楽しんでいました。
たとえば、こんな形で→★ しみじみしたり、
時には、駅のロータリーで雨宿りして自転車に乗って帰りたいときに
一時間以内に雨が止むのか(止まないのか)、
止むとしたら何分後か、その止んだ状態が何分くらいキープされるのか
など、かなり頼りになるので便利だなあと思うことが多々あったのです。
ぐいっと「変革」のきっかけが与えられたのは
そんな日々の、プライベートにおいてのОリングにおいてでした。
本屋仕事の帰り道。
疲れたなあ。よし。今夜はどこかに寄って夕飯を食べよう。
どこに寄るのがいいかな?
この店がいいですか?あの店はどうですか?それともあの店は?・・・。
夕飯についてのОリングは、
その頃、わりとおなじみの質問作業になりつつありました。
ところがある日、その質問に対して、
「あの店はどうですか」「NO」
「じゃあこの店はどうですか」「NO」
「えー、じゃああの店は」「NO」・・・
延々とねばって、どのお店を確認しても「NO」。
「自宅で自炊がいいですか」「NO.」
「じゃあ、今夜は夕飯ぬきがいいですか」「NO」
どれもこれも「NO」。
さすがに、え〜となりました。
自分の指の調子のせいか?と思いつつ
まてよ・・・と思い、最終確認。
「つまり・・・別になんだってどうだっていい。ということですか?」
「YES。」
そうきたか〜・・・と思いました。
そして自分の心理を思わず振り返りました。
なぜ夕飯のお店についてという質問を、自分はしたのかを。
すると、そこには「正解だけを選びたい、無駄や遠回りをしたくない、効率の悪いことはしたくない」といった心理があることに気づいたのです。
そして、「なんだってどうだっていい」という選択の幅の広さは
どれを選んでも、その誤差を回収・回復(取返し)できるだけのエネルギーが
あるから大丈夫だよってことだということ。
もしそれを選んだ場合の回収・回復のエネルギー(取返し)が
あまりにたくさん必要になってしまう場合は、
どれを選ぶとよいかがきちんと示されるのではないか。
そのときはそう判断しました。
しかしそれだけでは甘かった。
それだけでは、冒頭の結論にはまだ遠かったのです。。。
長くなったので(2)につづきます〜。