秋分の飛騨へ

9月の18日から23日までの6日間、
おやすみをいただいて飛騨の集中研修へいってきました。



小雨、大雨、台風、山の上流の川、湧出る水の流れ・・・
向かいの山からはもくもくと雲がうまれ・・・
水の気配がいつにもまして濃厚な飛騨でした。



山の中を歩いているときの湿った土と木々の気配、じぶんをとりまく空気。関東にもどったあともしばらく、じぶんのまわりにその気配を感じました。これを書いている今はだいぶ薄まりましたが・・・



22日に秋分を迎え、じぶんにとっての実りや収穫への感謝の気持ちをこめて、そしてさらなる実りへの祈りをこめてリースをつくりました。

素材は羽根や木の蔓、枝、実、葉、花など・・・自然の中や身の回りで拾い集めたものや、仲間同士で物々交換をして手に入ったものを使います。



わたしが今回のリースの素材に使ったものは、庭の月桂樹の枝と葉、ロザリオにも使ったザクロの花が結実しかけたもの、飛騨のうわみず桜(?)に実っていたちいさなさくらんぼ、友だちから分けてもらった松ぼっくり、すてきな奇跡を通してやってきたカササギの羽根。

リースとしてはとても簡素ですが、素材のひとつひとつに大切な縁や象徴を感じるものを選びぬきました。



秋分の夜にはお祈りの言葉と気持ちを飛騨の自然の精霊たちに捧げ、そのあと、その神聖なエネルギーをできあがったリースに込め、単なる飾りではない、特別で神聖なオブジェクトとなりました。



この集中研修では大地から、自然から心も体も滋養を受け取ることも大切にされています。昼食後から夜の授業までの時間がとても自由でゆったりしているのです。

山を歩く、道の駅に行く、リースをつくる、絵を描く、お祈りの言葉を考える、昼寝をするなど・・・おのおのが自由にゆったり過ごすことができるように時間配分されていて、これが本当にとても助かりました。



気づけば22連勤という過密なスケジュールで働いてしまい、かなりバテた身体にとって、心置きなくぼーっとして横になる時間を取れるということは何より豊かなこと。雨が降っていて外に出れない日も多かったのですが、身体を休ませることが出来、かえってよかったのでした。

夜はクロモジのアロマウォーターの入ったお風呂で肩の上まで浸かってゆっくり温まり、この2ヶ月間ずっと痛み続けていた右腕の怪我が滞在を半分も過ぎたころにはかなりよくなっていることにとても驚きました。治癒には副交感神経が優位になることが必要らしいのですが、きっと、そういうことでもあるのでしょう。


飛騨の夜のクラスは、アストラル界へのジャーニング。
このジャーニングで出会ったこと、感じたことは今はまだ、うまく書き表すことができないのですが、旅から戻って日常が始まっても、一番じわじわと心の奥のみえないところで影響しつづけている感じがします。

この集中研修も、次回の夏至で大きなしめくくりとなります。闇の深まりの季節を歩む秋分から冬至は、どんな時間になるのだろう。そこを超えて至る夏至は、どんな夏至になるんだろう。



テラフローラで出会ったモグラを思い出しました。
深い深い闇底に光を。最大の光を。どうやって届けるのか。どうやって届くのか。そこまでのどんな一歩一歩も、ベストを尽くせますように・・・。
 
飛騨での時間を振り返りながら、ふと、じぶんの魂の道のりを思う秋の夜長でした。


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