” いつまでも たくさん” テラフローラへ⑨

今日はちいさな、内面的なことを書こうと思います。
ルーナサ前夜はそんな気分。

テラフローラは空も風も雲も光も、くっきり澄みきっていてまっすぐに太陽の光が照り付けているのに肌寒いくらいだった。例年よりだいぶ気温が低くて、こんなことは珍しいのだそうだ。半袖Tシャツだけで過ごせるかと思いきや、カーディガンや薄手のコートが手離せない日々だった。(残り2日くらいは、カリフォルニアらしい暑さが戻ってきた)

池におりて行くと、ほとりにちいさな青銀色の蜻蛉たちが乾いた草の枝にとまっていた。



池の水連は微睡んで夢をみている。


風が吹くと、木々に吊る下げたおおきなウィンドベルが揺れて、野原いっぱいにその音色がこだました。風をあびながら、その音色に 耳を澄ませていると気持ちが遠くへ運ばれる。野原のむこうの森を吹き抜けて。。。



木肌の白い優雅なアスペンの幾百もの葉が
いっせいに震えるのをみた。



朝に、昼に、夕に、
スプリンクラーの柔らかな水しぶきが、
植物を心地よく潤している。


ふと目を向けたちいさな部分にも、
愛がこもっている・・・



昼時はパトリシアとリチャードの家に行ってキッチンへ。 
置いてあるものが、魔法使いのキッチンみたいでわくわくする。



毎日、ケイタリングのオーガニックのおかずがたっぷり用意されていて、
色とりどり、好きなようにお皿に取る。




テラスやリビングや庭のおおきな木の下など・・・
好きな場所でのんびりと昼食の時間。

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デッキにはハミングバードのための蜜の皿が吊るされていて、ちいさなちいさなハミングバードたちがぶーんといそがしく羽ばたきながら、なんども蜜を吸いに来ていた。



不思議なことにこのテラフローラは、わたしの心の川の水と水とが出会うところのよう。わたしの3人の先生の存在と記憶とが、うつくしいマーブル模様のように混ざり合った。このツアーで川上美保さんと5年ぶりに再会した。しかも、同じベルテインハウスでの宿泊だった。

フラワーエッセンスについてまったくの初学者だったわたしが美保さんから学び始めたのが 2007年。マルセイユタロットの手ほどきを専門的に受けたのが2010年。美保さんとの今回の再会は、これまでと、これからも続いていくだろう花と魂についての学びの道のりへのマイルストーンのように感じた。

パトリシアとリチャードの家はホワード七歩子さんの自宅を思わせた。心の中で「ああ、好きでしょう、ここ。七歩子さん、ぜったい」なんども呼びかけてしまった。パトリシアと七歩子さんは、深い部分でつながるような、よい友達になれた気がしてならなかった。
 
同時に、王先生が執筆した物語に出てくる美しい庭と優雅な屋敷を無性に思い出してしまった。そしてはるか昔に見た、「モンド」というフランス映画に出てくる高台の屋敷、霊水が祀られたお堂のある、美しいマンションの廊下や部屋の中のことも。



物語や夢の世界と現実と。夢が現実を超えることはないのか。それともいつも現実は、夢に勝てないのか。こうした2項対立がわたしの世界ではありがちだけれど、ここテラフローラでは違う。

夢と現実が、手を取り合っている。
 
この感じはなんなのだろう?
王先生の物語からすれば、これこそが魔術なのだろうか。人と自然とが協調してここまでのものを作りだすということ。

夢と現実、どちらが勝つかではなくて、どちらが先か・・・いつだって、夢が先。そうして、現実が夢を映している。人の夢を大地と天が吸い上げて、大地と天の夢を人が吸い上げて。そうして形になっているのかもしれない・・・

パトリシアとリチャードの家のリビングに言葉の石を入れた木皿があった。


言葉の石をひとつ。



石に刻まれた言葉は、心のより奥深くまで届くような気がするのはなぜだろう。映画「モンド」も、石の言葉で幕を閉じたのだっけ。その石には「TOUJOURS BEAUCOUP・・・ いつまでも たくさん」って書かれていたんだった。ああ、テラフローラで受け取った豊かさそのもの。

TOUJOURS BEAUCOUP・・・ありがとう、テラフローラ。

  
ルーナサのはじまる今宵に、ひとまずテラフローラのご報告はひとくぎり。長々と、途切れ途切れの更新を毎回よんでくださったみなさま、ありがとうございました。

ルーナサの祝福とともに
心からの感謝をこめて。

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